2011年5月19日木曜日

神に対しての祈り[陛下の祈り(2)]

天皇陛下の最も大きな役目は、神に対して祈りを奉げることである。
天皇陛下が神として、神に対して祈りを奉げるのである。

天皇陛下が神というと、戦前の現人神(あらひとがみ)を思い出し、国粋主義、軍国主義という人もいるだろう。


ここで考えてほしいことがある。
それは、あなたにとって神とはどんな存在なのか、ということである。

あなたにとって神とは、何であろうか。
自分に都合よく、人を支配するものであろうか。
人に命令し、支配するものであろうか。
もしそうならば、それは単なる独裁者ではないだろうか。
あなたにとって、独裁者が神と呼ぶにふさわしい存在なのであろうか。

あなたにとって神がどのような存在なのか、どのような意味を持つのかによって、人が神であるという意味も大きく変わってくるのである。


人が神であるならば、神にふさわしい行動がある。
神というからには、神にふさわしく行動しなければならない。
天皇陛下が神ならば、天皇陛下といえども、神にふさわしい祈りを捧げなければならない。
ここでまた考えて欲しいことがある。
神にふさわしい祈りとは、何であろうか。
神として祈るということは、当然、陛下御自身のための祈りではない。
天皇陛下が捧げる祈りは、日本人のため、日本国のため、日本に住むすべての人のため、ひいては世界に地球に住む人々のための安寧の祈りである。
これ以外に天皇陛下の祈りはない。


本当は、天皇陛下御お一人のみならず、私たち人間一人ひとりが神にならなければならない。
すべての人が神になり、神として、神にふさわしい行動を取らなければならない。
人間一人ひとりが、神としての行動を取るならば、地上天国はすぐにも実現するであろう。

しかし、それが如何に難しいことか、誰でも知っている。
普通の人間は、神としての行動など、なかなか取れるはずもない。
普通は意識するとしないとに関わらず、自分の欲望のために行動しているだけである。
それは、神の取る行動とはいえない。

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