2011年5月27日金曜日

神が人を祀る[陛下の祈り(4)]

今までは、人が神を祀ってきた。
ただ神を祀るといっても、本当に神を祀ってきたのか、ということもある。
神社、仏閣で、神さま、仏さまに自分の欲望を願うことは、神を祀るということではない。
それは、自分のしもべとして、神を使おうというこということでしかない。
これでは自分の召使いが神ということになってしまう。

神を祀る、という言葉の中には、神を祀るにふさわしい人になる、という意味がある。
神を祀るにふさわしい人は、どのような人であるか。
神を祀るにふさわしい人は、どのように神を祀るか。
自分の中に問うてみるがよい。


今までは、人が神を祀ってきた。
しかし、これからは、神が人を祀るという。

神から祀られる人とは、どのような人であるか。
神様から、この人はすばらしい人だと祀られる人とは、どのような人であろうか。
神が人を祀るという、この一言の中には、神から祀られるにふさわしい人になれ、という意味が含まれている。

ここで自分に問うてみるが良い。
あなたは、神から祀られるにふさわしい人であるか。
あなたが思う、神から祀られるにふさわしい人とは、どのような人なのか。
我欲にまみれたままの人を神が祀りますか。
神から祀られる人とは、どのような人であるか。

この世の中には、女も男もいる。
女は女神に、男は男神に、あなたの理想とする神になれる。
人が神から祀られるにふさわしい人になったとき、人は神として働くことができる。

それでこそ、神から祀られる人である。
これからは、人誰しも、神から祀られるに、ふさわしい人にならねばならない。


すべての女も男も、神から祀られる人になれよかし。

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